記憶が星のように煌めいている。
私たちは、夜空に浮かぶ星を見るように記憶を想い起こし、思い出や経験則として自己に溶け込ませている。
隣あった星との関係性によって星座が形作られる星や、靄や街の光で見えにくくなった星、北極星のように物事のメルクマールとなる星。
星の発する核反応の熱量差や、私たちからの物理的距離差や環境差によって、目に見える明るさは区々で、不可視な星は「ない」と同じなのである。
記憶は、ある時のある人や物と私たちとの縁が結晶化した星そのものであり、可視/不可視の区別はその範疇ではない。
さらに、目に見える星数に比例して過去の事実の純度が高まるとも限らない。私たちが注目するのは、「星と星をどのように結ぶか」という「星座の
作り方」だ。なぜその星と星を結んだのか、結んだ軌跡は毛筆なのかそれとも歌なのか。「事実」と「記憶」のあいだにある空乏層に目を向けたい。
そこで私たちは、事実と記憶を分析の土俵にあげるために、つまり一般化するために定義づけを行い式として仮説した。
ここでは五感のうち視覚に注目し、写真と映像を用いて証明を試みている。星は、想い起こしたり、写真を見たり、映像を見たりして、不可視から
可視へと様変わりし、そして星座は可視化された星たちによって形作られる。私たちはそれらを記録していく。そのアーカイブスは、仮説した式の
修正や発展の原動力となる。また、自己分析から自他分析へと拡張しうる素地となっていく。

私たちがしばしば体験する目の前にハッと甦る記憶というものは、身体的、時間的、経験や紐帯力など複雑な条件によって規定されていると思われる。
本作品では、命題のうち特に視覚が影響を及ぼす点について注目する。
想像だけに頼り記憶を想起することをMeprとして設定した上で、「写真」という素材が記憶や過去の事実とどう関係づけられるのかについて場合分けを行う。
ここでは1枚の写真作品を見たとき:Melwを、MeprやMelpとの具象的な差異から証明を試みる。

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Melswによって描かれた記憶量は、その枚数に比例するわけではない。
Melwにおいても、写真に写る直接的な要素のほかに、その情景事象から間接的に想起する記憶が存在するが、
Melswにおいては、それに加え間接的要素同士による亜間接的要素をも含む。
連続する写真ひとつひとつが持つ産霊の連続によるカオスが存在する。

「事実」は、膨大かつ多様な記憶の一覧によって、どれほど再現されるのだろうか。