別物語

物語とは「もの」を「かたる」ことである

 「もの―かたり」は、古代では出来事や事件(こと)を語る「ことのかたりごと」とは区別されていた。「もの」とは精霊や鬼など不思議な霊力を持つものを指し、「もの―かたり」では、そうした不思議な世界が描かれてきたのである。現代においても、作者は「もの―かたり」によって、読者と関係性を持っている。したがって読者にとっては、「もの―かたり」を通して作者の意図を解釈することよりも、「もの―かたり」そのものと向き合い、読者自身の感受性との関係の中にこそより根源的な姿があるのではないだろうか。 こうした着想を私たちなりに確かめ、答えを求めるべく私たちはひとつの感受行為を行った。

 具体的には、家にあった物語の描かれた一冊の本を、ストーリーは追わずに文章ごとに切り分けた。そしてひとつひとつの文章と対峙するように、切り分けられた無数の文章群の中から気に入った文章を1つ選び、選ばなかった残りの文章はすべて編み込んでいった。編み込まれた文章は、単体の文字へと分断され、意味から解放されて行くテクスチャーとしてのテクストは、織り込まれることによって、逆にテクスチャーから解放されるのである。そしてついには、無数の意味をなさない文字群を下地とし、その上に自ら選んだひとつの文章のみが浮かび上がる。物語に対するこうした行為は、読者の直感的な感受性のみによって向き合うものであり、そこには作者の意図を追い求める解釈行為は行われない。

 読者が物語から得るものは、たったひとつの文章とそこに潜む読者の潜在的な感覚であり、読者の感受を結晶化したものである。感受行為によって結晶化された、ひとつの文章と無数の編み込まれた文字は、「もの―かたり」と いう鏡によって読者を映し出した「別物語」ではないだろうか。